大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートしましたね!初回から「衣装が派手!」「カラフルすぎる!」などの声もあるようですが実際に戦国時代の衣装は派手で鮮やかで変だったのでしょうか。気になったので色々調べてみました。
もくじ
麒麟がくるの時代は?
「麒麟がくる」は戦国時代ということですが戦国時代といえば、
1493年の明応の政変あるいは1467年の応仁の乱に始まり、1573年に15代室町将軍足利義昭が織田信長によって京都から追放されて室町幕府が倒されるまでの時代
なのですが、主人公明智光秀は1582年まで生きていたという説があります。ということは「麒麟がくる」の時代は1500年代ということになりますよね。
それでは1500年代の衣装を見てみましょう。
戦国時代の衣装は?
戦国時代の一般的な衣装
1500年代の衣装は、実際に見てきたわけではありませんが一般的には小袖という着物です。男性も女性も私服が小袖だったわけです。小袖といっても色々あるので現代でいうと、服=小袖みたいな感覚だったのではないでしょうか。
礼服、正装などはまた別にあるので「麒麟がくる」の衣装のほとんどが小袖ということになりますが、武家では裃(かみしも)と呼ばれるものを着用していたようです。
戦国時代の農民の衣装
戦国時代の農民の衣装は、武家などのお偉いさんの小袖のお下がりだったということなので新品の衣装を着るということはあまりなかったのではないでしょうか。子供の衣装自体は母親が頑張って作ったという可能性も否定はできませんけどね。ただ作るのはいいとしてもわざわざ染色までするかというとそこまでするのかな?という疑問はありますね。
戦国時代の衣装は鮮やかだった?
戦国時代の衣装は鮮やかだったのかな?と疑問があるとは思いますが可能性は十分にあります。なぜなら、衣装の染色技術は8世紀からすでにあったという説があるからです。
古事記にも、こうあります。
「天照大神の時に青白の弊あり、其れ果たして如何なる染料を用いて染めしや」
万葉集にも、こうあります。
「月草に衣ぞ染むる君がためいろとりどりの衣摺らんと思いて」
内容はさておき、この2つの詩には「染料を用いて」「月草に衣ぞ染むる」とあります。自然に染まったということではなくて、人工的に衣服を染めていたという事実があるんですよね。
更に、天平文化の時代(729~749年)にも中国・朝鮮から色がよく染まる薬品(媒染)技術が伝わって色鮮やかなに衣装が染めやすくなった時代だったと思われます。
戦国時代は15世紀ー16世紀なので数百年の月日が流れているわけなので当然染色技術は発達していたということになりますよね。
このような理由から、「麒麟がくる」の衣装がカラフルでもおかしくないと言えるのではないでしょうか?
「麒麟がくる」の衣装3つの変な違和感
画像元:麒麟がくる
「麒麟がくる」新品衣装
「麒麟がくる」の衣装に違和感を感じるのは、新品な衣装だからではないでしょうか?
武家ならともかく、農民までも新品な衣装を着ているということに違和感があったりします。しかし、大河ドラマでヨレヨレの衣装だったり、不潔感丸出しの衣装だったら不愉快になる人もいますよね?8時からテレビが始まるということでご飯食べている人もいるかもしれませんしね!
「麒麟がくる」色が濃い
「麒麟がくる」の衣装ではカラフル、鮮やかと感じるのは問題ないとしても色がちょっと濃すぎるのではないのかなとは思います。TVメディアとしては色が濃いほうがインパクトがあっていいかもしれませんけどね。
「麒麟がくる」の色使い
実は色使いが問題なのです。どういう問題かというと、
紫色はこの時代には難しい技術だったのではないかということです。日本では昔から藍色などの青系はありました。水色自体も平安時代からあったのです。しかし、紫色は1856年に紫の染料ができたんですよね。ピンク系の染料もヨーロッパの18世紀になって普及している色なのです。戦国時代には紫やピンク色というものは難しい技術のため日本独自製法でもない限り難しかったのではないでしょうかね?
戦国時代の衣装に違和感があるけれど
「麒麟がくる」の衣装に違和感はあるかもしれませんが、色使いが悪いからといって面白くないということではありませんよね。どちらかというとインパクトがあって良いように思えます。メディアなので見られないと意味がないわけで、話題になればそれだけ見てくれる人も多くなるわけですからね。
普段大河ドラマなんて見ないという人は、色から入る大河ドラマ「麒麟がくる」というのも悪くないと思います。外観よりやっぱり中身です!
毎週日曜夜8時楽しみに待ちましょう!